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リンゴの実 [書斎の本棚]

二次小説です。






リンゴの実



均は教頭の古田に促され緊張した面持ちで挨拶を済ませた。
均の学生当時を知る先生方ばかりで散々冷やかされた。そのおかげで緊張は解れた。

教師として初めての授業は3年に進級したばかりの生徒達。覚悟はしていたが、授業が始まると同時に他の学科の教科書が開かれた。
教壇に立ち、教室を一望しても誰も生物の教科書を用意していないし、耳もこちらに向いていなかった。しかし、それは自分が中村先生にしてきた事だ。均は素直にそれを受けとめた。
だが、そのままで済ませる訳にはいかなかった。均は生徒達に教科書をしまわせた。
新米教師が何を言っているのだと、生徒達はすぐには従わなかった。
あの時と同様に、語調を強くして再度言うと生徒達は渋々従った。
均は読まなかった本の話をした。中村先生から聞かされた時の記憶は曖昧だか、赤坂栞からこの話を再度聞かされた。中村先生の病気のことを知った後のことだ。
だから、読まなかった本の話は均の中でいつまでも留まり続けていた。
そのまま伝えても、目の前の生徒達全員に理解してもらうことは出来ない。だから、吉田は中村秀雄という名前を出して話をした。中村先生が残りの人生をかけ伝えたことを。
教師になったばかりの吉田が生徒達に伝えていくのは大変なことだった。
だが、均はその道を選んだ。逃げるつもりはない。

―「やってみましょう」―

秀雄の言葉が聞こえてくるようだ。どうにか均の一日目が終了した。



教員室でジャケットを羽織ながら久保が均に声をかけた。

「吉田先生。今日は申し訳ないね。」
「とんでもございません。」
「PTAの新しい役員の皆様に教頭先生と一緒に会う約束なんだ。」
「今度の会長さんは田岡さんだ。妹さんが入学して再任だよ」

後ろから古田も来た。

「その代わり明日の歓迎会は教頭先生のおごり~」

麗子が口を挟む。

「本当ですか?やった。」

赤井も大げさに喜ぶ。

「ちょ、ちょっと待って。この春から下の娘も大学に入ってさ、学費が・・・」
「さ、教頭先生。そろそろ出ないと間に合いませんよ。」

久保は古田の背中を押して、教員室を出た。

「ちょっと・・・明日は・・・」

古田の訴えもドアが閉まると聞こえなくなった。

「吉田先生。じゃあ、明日の夜は大丈夫だね。」
「はい。」

岡田が均に確認した。
生徒達も教師たちも三々五々、学校を後にする。





「教頭先生。ついにこの日が来ましたね。」
「そうだね。理事長から話を聞いたときにはびっくりしたよ。あの吉田均が生物教師として、学園に戻ってくるなんてね。」
「あれから五年か。」
「そう、五年だよ。三回忌があったり、同窓会があったり、就職を決めた生徒達が挨拶に来たり・・・。あの日から確かに年月は過ぎていくけど・・・」
「こうした節目を迎えると、つい昨日のことに思えますね。」
「そうだね。」
「あ、教頭先生、急がないと本当に遅刻ですよ。」
「え?まずいな。よりによって田岡さんだよ。怒らせると恐いからな・・・。」
「そう言っている割に嬉しそうな顔していますよ。」
「そうかい…。最後にはPTAの中でも中村先生の一番の理解者だったからね、田岡さんは…。でも、お子さんが卒業すればPTA会長も変わる。次の会長に変われば、うちの子は間違いないとか、うちの子供だけは・・・。になってしまう。」
「でも、その度ごとに教頭先生は全力でぶつかってきたじゃないですか。」
「いや、僕なんか何もしてないよ。先生方みんなの力があったからだよ。」
「中村先生が伝えたかったこと…大切なことを、生徒達に教えてきただけですよ。」
「…そうだね。」

二人は歩くペースを少し速くした。




「では、明日の18:00に7名様で春爛漫コース飲み放題つきですね。」
「はい」
「では、お待ちしております。」

明日の予約を岡田は済ませた。

「麗子先生、赤井先生、お付き合い頂きありがとうございます。」
「いいって。どうせ帰り道の途中だし。…ところで」
「なんですか?」
「せっかく下見に来たんだから、味見していかない?」
「また、これなんだから…。」

麗子は苦笑した。

「赤井先生、明日も遅くなりますから奥さんに怒られますよ。」

岡田が確認する。

「いーの、いーの。大丈夫。今日と明日は実家に行ってるから。」
「今度は家出されたんですか?」
「違うよ。本当に用事があって行ってるんだよ。」
「…じゃあ、軽くね。」

麗子が決着させた。麗子自身も飲みたい気分だった。

「うん。あ、お姉さん!三人ね!」

赤井はそばの店員をつかまえ言った。



生ビールが運ばれてきて、乾杯をした。
春といえども花寒で三人は鍋をつついた。

教師として沢山の生徒たちの指導をしてきた。受け持ちのクラスではなかったが、吉田均は多くの生徒たちの中でも鮮明に記憶に残る生徒であった。確かにあの年の3年G組の生徒たちは卒業後もよく学校を訪れてくるし、同窓会に招かれることもあった。でも、そのことを除いても吉田均は印象的だった。

「吉田均が生物教師としてうちの学園に来るなんて、驚いたな。」

赤井がぐっとジョッキのビールを飲み干した。

「てっきり、官僚を目指していると思っていたからね。」

麗子がウーロンハイも少なくなってきた。
岡田は赤井のジョッキを片付け、店員にそれを差し出し、ビールとウーロンハイのおかわりをジェスチャーで伝えた。

「中村先生が羨ましいです。」
「え?」
「こんなに生徒達に慕われ、あっという間に駆け抜けていってもみんなの心に生き続けているんだから…。日々の生活を見直して、心を入れ換えて頑張ろう…なんて言ったけど、ちっとも変わってないし…。」
「そんなこと無いわよ、みんなよくやっていると思っているよ。よく気が付くし…。それに彼女も出来たし。それって岡田先生に魅力がある証拠よ。」
「そうですかね。…あっ。」
「どうした?」
「あの日の夜もここで飲んだんですね。」
「あ…そうだね。」

秀雄とみどりの結婚の報告があり、その後古田教頭から秀雄の病気のことを知った晩、「なんでなんだよ」と涙した店がここだった。案内された席も同じようにも思えた。
三人はゆっくりと語らいながら飲んだ。




時計を少し前に戻す。

教員室を出たみどりは理事長室から出てきた隆行とばったりあった。

「ねえ。晩御飯何にする?」
「任せる」
「任せるって言われてもなぁ」
「よろしくね。私ちょっと寄るところあるから。」
「じゃあ今夜はカレーにするから。」
「コロッケ入りね。」
「はぁい。」




みどりは秀雄に会いに行った。
今日はどうしても会いに行きたかった。






教師生活一日目を終えた放課後、均は一人屋上にいた。
学生当時、うまくいかない事があるとよくこの屋上に来た。
でも今日の均は…

― やっとスタートラインに立った。これからだ ―

均の目は輝いていた。
秀雄のリンゴが実った。

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