一昔 [全般]
私がWEBの中に自分の領域を初めて作ったのが2004年9月23日。
10年が経ちました。
きっかけは2003年に放映されたドラマ「僕の生きる道」
「やってみましょう」
という台詞がありましたが、やってみました。
「僕の生きる道」にハマった要因の一つとして身近に余命宣告を受けた人がいた事。
そして、自分の気持ちに整理がついた2004年1月、我が家に初めてインターネット回線が開通した。
ADSLの8M契約。
ノートPCにホームページ作成ソフト(お試し版)がインストールされていて、適当にいじっている内にヨシと意を決して、プロバイダーが有料会員向けに無料開放していたHPの領域を使って立ち上げた2004年9月23日。秋分の日でした。
10年が経ちました。
きっかけは2003年に放映されたドラマ「僕の生きる道」
「やってみましょう」
という台詞がありましたが、やってみました。
「僕の生きる道」にハマった要因の一つとして身近に余命宣告を受けた人がいた事。
そして、自分の気持ちに整理がついた2004年1月、我が家に初めてインターネット回線が開通した。
ADSLの8M契約。
ノートPCにホームページ作成ソフト(お試し版)がインストールされていて、適当にいじっている内にヨシと意を決して、プロバイダーが有料会員向けに無料開放していたHPの領域を使って立ち上げた2004年9月23日。秋分の日でした。
穂高 [全般]
かつて書いた二次小説。
本当に初期の頃であり、ドラマ「僕の生きる道」が放映されたその年には手をつけていました。
思いは翔ける
中村秀雄先生の故郷は韮崎の設定ですが、この作品では佳代子母さんを町内会の旅行で穂高に行ってもらいました。
本当に初期の頃であり、ドラマ「僕の生きる道」が放映されたその年には手をつけていました。
思いは翔ける
中村秀雄先生の故郷は韮崎の設定ですが、この作品では佳代子母さんを町内会の旅行で穂高に行ってもらいました。
ありがとう [全般]
いつも、当ブログにお越しいただきありがとうございます。
間もなく、2010年も終わり新しい年を迎えようとしています。
振り返れば、2010年はこのブログが復活した年でもありました。
2004年9月にホームページ「書斎は四畳半」としてオープンしておりましたが、大幅リニューアルの際にデータ破損、修復不可能となり、ブログ「四畳半の日記帳」を中心とした展開をしておりましたので、「書斎は四畳半」は放置状態になっていました。
ただ、私のWEB生活の原点はドラマ「僕の生きる道」であり、「書斎は四畳半」。
更新の容易さも知っているブログにて「書斎は四畳半」を復活させることが出来ました。
全てのデータを復旧する事は出来ませんでした。
特に、二次小説に関しては十数話を失ったようです。
学生時代、一番苦手な科目が「国語」という人間が書いた「妄想」ですから、消えてしまったのも仕方が無い。
今年、新しい作品を書く意欲が湧いたことは皆さまのご訪問と、全国で始まった「僕の生きる道」の再放送のお陰でしょう。
ブログ「四畳半の日記帳」と比べたらこちらの更新頻度は上がりません。
気が向いた時にお越しいただけたら幸いです。
その時には、もしかしたら新しい作品が待っているかもしれません。
今年一年、ありがとうございました。
来る2011年が皆々様にとって良い年でありますように。
間もなく、2010年も終わり新しい年を迎えようとしています。
振り返れば、2010年はこのブログが復活した年でもありました。
2004年9月にホームページ「書斎は四畳半」としてオープンしておりましたが、大幅リニューアルの際にデータ破損、修復不可能となり、ブログ「四畳半の日記帳」を中心とした展開をしておりましたので、「書斎は四畳半」は放置状態になっていました。
ただ、私のWEB生活の原点はドラマ「僕の生きる道」であり、「書斎は四畳半」。
更新の容易さも知っているブログにて「書斎は四畳半」を復活させることが出来ました。
全てのデータを復旧する事は出来ませんでした。
特に、二次小説に関しては十数話を失ったようです。
学生時代、一番苦手な科目が「国語」という人間が書いた「妄想」ですから、消えてしまったのも仕方が無い。
今年、新しい作品を書く意欲が湧いたことは皆さまのご訪問と、全国で始まった「僕の生きる道」の再放送のお陰でしょう。
ブログ「四畳半の日記帳」と比べたらこちらの更新頻度は上がりません。
気が向いた時にお越しいただけたら幸いです。
その時には、もしかしたら新しい作品が待っているかもしれません。
今年一年、ありがとうございました。
来る2011年が皆々様にとって良い年でありますように。
書斎よフォーエバー [全般]
一昨日、ホームページ版を消去しました。
2004年9月23日に始まったHP版「書斎は四畳半」
その後、ドンドン中身を増やしていったら、パソコンが熱を出してダウンする位重たくなっちまった。
毎日更新していたのが日記部分だったので、その部分だけをブログ化しました。
それがブログ「四畳半の日記帳」
お陰さまでその日記帳も色々と成長して行きましたが、ホームページ版について色々手直ししなくちゃいけないまま、工事中がずーっと続いていた。
そこで「書斎は四畳半」もブログ化へ。
ブログが2つになりました。
日々の事は「四畳半の日記帳」に、そして根幹である「僕の生きる道」に関することはこのブログ「書斎は四畳半」に綴っていきます。
既に「四畳半の日記帳」でも掲載しましたが、過去のHPのトップ画像で残っている物を貼っておきましょう。
2004年9月23日に始まったHP版「書斎は四畳半」
その後、ドンドン中身を増やしていったら、パソコンが熱を出してダウンする位重たくなっちまった。
毎日更新していたのが日記部分だったので、その部分だけをブログ化しました。
それがブログ「四畳半の日記帳」
お陰さまでその日記帳も色々と成長して行きましたが、ホームページ版について色々手直ししなくちゃいけないまま、工事中がずーっと続いていた。
そこで「書斎は四畳半」もブログ化へ。
ブログが2つになりました。
日々の事は「四畳半の日記帳」に、そして根幹である「僕の生きる道」に関することはこのブログ「書斎は四畳半」に綴っていきます。
既に「四畳半の日記帳」でも掲載しましたが、過去のHPのトップ画像で残っている物を貼っておきましょう。
雑談 [全般]
こんばんは
ブログ版が一応立ち上がり、二次小説も復旧出来そうなものはあとちょっとだけ残して移設は完了したので、ホームページ版は閉鎖しようかなと思っています。
立ち上げたのが2004年9月23日だったから、やっぱり秋分の日にしようかと思っていた忘れてしまった。
9月いっぱいかな・・・。
先日から久しぶりにしっかりと「僕の生きる道」のDVDを観なおしました。
コメント等(もうひとつのブログね)で指摘を頂いた部分を観直したりしてね、確認したくなったりもしています。
もう3年以上も二次小説は書いていないのですが、すこしだけ心がムムムと起き上がっているようです。
ブログ版が一応立ち上がり、二次小説も復旧出来そうなものはあとちょっとだけ残して移設は完了したので、ホームページ版は閉鎖しようかなと思っています。
立ち上げたのが2004年9月23日だったから、やっぱり秋分の日にしようかと思っていた忘れてしまった。
9月いっぱいかな・・・。
先日から久しぶりにしっかりと「僕の生きる道」のDVDを観なおしました。
コメント等(もうひとつのブログね)で指摘を頂いた部分を観直したりしてね、確認したくなったりもしています。
もう3年以上も二次小説は書いていないのですが、すこしだけ心がムムムと起き上がっているようです。
小説復旧作業、最終段階 [全般]
いつもご訪問ありがとうございます。
2004年秋に立ちあげたホームページ「書斎は四畳半」
ドラマ「僕の生きる道」の二次小説を掲載することから始め、その後「僕の生きる道」以外のことも取り上げるようになり、コンテンツを増やしていきました。
当時はコミュニケーションツールは一切なかったので、一方通行的な発信のみでしたが、特殊なアクセスカウンター(ハーボット)を載せていたので、沢山のリピーターにお越し頂いておりました。
2004年秋に立ちあげたホームページ「書斎は四畳半」
ドラマ「僕の生きる道」の二次小説を掲載することから始め、その後「僕の生きる道」以外のことも取り上げるようになり、コンテンツを増やしていきました。
当時はコミュニケーションツールは一切なかったので、一方通行的な発信のみでしたが、特殊なアクセスカウンター(ハーボット)を載せていたので、沢山のリピーターにお越し頂いておりました。
みどり先生の食いしん坊万歳! [全般]
このエントリーは最初、ホームページ「書斎は四畳半」に掲載し、その後、ブログ「四畳半の日記」に掲載したものですが、今一度このブログ「書斎は四畳半」に復帰したいと思います。
「四畳半の日記帳」に掲載しているエントリーはそのままに、ここでは加筆したものをUPしたいと思います。
ドラマ「僕の生きる道」の主人公、中村秀雄さんは健康診断で病気が見つかり余命一年と告知を受けます。
ドラマ内で病気の進行とともに秀雄さんの食欲は減っていきます。
そんな秀雄さんに対して、食欲旺盛なみどり先生。
最終的には秀雄さんにとって「運命の人」となる、みどりさん。
みどりさん、このドラマの中では本当によく食べています。(一応、設定ということで・・・)
同僚として、恋人として、妻として、秀雄さんと過ごす時間が多いのですが、食べるシーンが多い。
みどり先生が登場する場面より、ちょっと書き出してみたいと思います。
「四畳半の日記帳」に掲載しているエントリーはそのままに、ここでは加筆したものをUPしたいと思います。
ドラマ「僕の生きる道」の主人公、中村秀雄さんは健康診断で病気が見つかり余命一年と告知を受けます。
ドラマ内で病気の進行とともに秀雄さんの食欲は減っていきます。
そんな秀雄さんに対して、食欲旺盛なみどり先生。
最終的には秀雄さんにとって「運命の人」となる、みどりさん。
みどりさん、このドラマの中では本当によく食べています。(一応、設定ということで・・・)
同僚として、恋人として、妻として、秀雄さんと過ごす時間が多いのですが、食べるシーンが多い。
みどり先生が登場する場面より、ちょっと書き出してみたいと思います。
僕の生きる道 って? [全般]
ふと、気がついた。
ホームページ「書斎は四畳半」を立ち上げたきっかけはドラマ「僕の生きる道」を観た後、色々と思う事があったからです。
2004年にホームページを立ち上げて、その後ブログ「四畳半の日記帳」、そして今現在HPからの移行場所としてブログ「書斎は四畳半」に引っ越し途中です。
そのきっかけとなったドラマ「僕の生きる道」を知らないと、このブログ、コンテンツ(二次小説やロケ地写真)はご理解いただけないでしょう。
DVD化もされているので、勿論観て頂けたらと思うのですが、簡単にご紹介してみましょう。
ホームページ「書斎は四畳半」を立ち上げたきっかけはドラマ「僕の生きる道」を観た後、色々と思う事があったからです。
2004年にホームページを立ち上げて、その後ブログ「四畳半の日記帳」、そして今現在HPからの移行場所としてブログ「書斎は四畳半」に引っ越し途中です。
そのきっかけとなったドラマ「僕の生きる道」を知らないと、このブログ、コンテンツ(二次小説やロケ地写真)はご理解いただけないでしょう。
DVD化もされているので、勿論観て頂けたらと思うのですが、簡単にご紹介してみましょう。
引っ越しの挨拶 [全般]
2003年1月に放映が開始された関西テレビ制作のドラマ「僕の生きる道」を観てから自分の中で何かが変わりました。
放映前、あまり事前情報は耳に入れなかった。断片的に入ってくる情報はどちらかというと耳をふさぎたくなることの方が多かった。
その時、私の家族は闘病の真っ最中。病院へ連れて行った時には余命など無かった時。
出演者に関しても、特に「この人が好きだ」という心理も無かった。
正直観るつもりはなかったが、正月進行が続くテレビ観賞の中、偶然チャンネルをそこに合わせてしまった。
第一話を観て、あまりに辛くなりその後しばらく放映を観ることができませんでした。
第5話の途中を一部観て、第6話からほぼ復帰。第7話の終盤から正座をして観るようになっていた。
今までドラマを観て、その公式ホームページなど見に行くことなど全くなかった。
しかし、「僕の生きる道」の公式HPに訪れ、特にBBSの書き込みを読むと、自分の置かれている環境と同じ境遇な人や、ご自身が闘病されている人、自らの生き方に言及されている人、多くの意見を聞くことが出来た。
放送終了後、惜しまれつつも公式HPはあっという間に終了していった。まるでドラマの中身と同じように、あまり多くのものを残そうとしないかのように。
ただ、少なくとも私には、おそらく多くの人がその心に何かが残っていたのだろう。
私は初めてWEB上の世界に足を踏み入れた。
その頃、様々な人が「僕の生きる道」に関するホームページを立ち上げていた。
私も、そちらに足しげく通わせていただきました。
そんな中、私にとって信じられないことを起こした。
小学校に入学し、大学を卒業するまで一番苦手な教科は何か?と聞かれたら間違いなく「国語」と答える私だけど、「僕の生きる道」の二次小説を書いていた。正直、書きあげた文章はお粗末としか言いようがないけど、ドラマを観て教わったこと
「やってみましょう」
私がドラマで教わった中で一番背中を押された言葉。
戸惑っている内は何も始まらない。勿論、慎重にならなくてはいけないこともあるが、間違っていると気がついたらまた元の道へ戻れるなら、やってみればいい。
二次小説を書き、気がつけば、自分のホームページを立ち上げていた。
2004年9月23日、秋分の日にパソコンにプリインストールされていたホームページソフトを使い、その日のうちに見よう見まねで立ち上げた。
ブログではないのでコメント欄も無いし、掲示板機能も付けていない。
当時、自分では一方通行の自己満足HPと言っていた。
放映前、あまり事前情報は耳に入れなかった。断片的に入ってくる情報はどちらかというと耳をふさぎたくなることの方が多かった。
その時、私の家族は闘病の真っ最中。病院へ連れて行った時には余命など無かった時。
出演者に関しても、特に「この人が好きだ」という心理も無かった。
正直観るつもりはなかったが、正月進行が続くテレビ観賞の中、偶然チャンネルをそこに合わせてしまった。
第一話を観て、あまりに辛くなりその後しばらく放映を観ることができませんでした。
第5話の途中を一部観て、第6話からほぼ復帰。第7話の終盤から正座をして観るようになっていた。
今までドラマを観て、その公式ホームページなど見に行くことなど全くなかった。
しかし、「僕の生きる道」の公式HPに訪れ、特にBBSの書き込みを読むと、自分の置かれている環境と同じ境遇な人や、ご自身が闘病されている人、自らの生き方に言及されている人、多くの意見を聞くことが出来た。
放送終了後、惜しまれつつも公式HPはあっという間に終了していった。まるでドラマの中身と同じように、あまり多くのものを残そうとしないかのように。
ただ、少なくとも私には、おそらく多くの人がその心に何かが残っていたのだろう。
私は初めてWEB上の世界に足を踏み入れた。
その頃、様々な人が「僕の生きる道」に関するホームページを立ち上げていた。
私も、そちらに足しげく通わせていただきました。
そんな中、私にとって信じられないことを起こした。
小学校に入学し、大学を卒業するまで一番苦手な教科は何か?と聞かれたら間違いなく「国語」と答える私だけど、「僕の生きる道」の二次小説を書いていた。正直、書きあげた文章はお粗末としか言いようがないけど、ドラマを観て教わったこと
「やってみましょう」
私がドラマで教わった中で一番背中を押された言葉。
戸惑っている内は何も始まらない。勿論、慎重にならなくてはいけないこともあるが、間違っていると気がついたらまた元の道へ戻れるなら、やってみればいい。
二次小説を書き、気がつけば、自分のホームページを立ち上げていた。
2004年9月23日、秋分の日にパソコンにプリインストールされていたホームページソフトを使い、その日のうちに見よう見まねで立ち上げた。
ブログではないのでコメント欄も無いし、掲示板機能も付けていない。
当時、自分では一方通行の自己満足HPと言っていた。