引っ越しの挨拶 [全般]
2003年1月に放映が開始された関西テレビ制作のドラマ「僕の生きる道」を観てから自分の中で何かが変わりました。
放映前、あまり事前情報は耳に入れなかった。断片的に入ってくる情報はどちらかというと耳をふさぎたくなることの方が多かった。
その時、私の家族は闘病の真っ最中。病院へ連れて行った時には余命など無かった時。
出演者に関しても、特に「この人が好きだ」という心理も無かった。
正直観るつもりはなかったが、正月進行が続くテレビ観賞の中、偶然チャンネルをそこに合わせてしまった。
第一話を観て、あまりに辛くなりその後しばらく放映を観ることができませんでした。
第5話の途中を一部観て、第6話からほぼ復帰。第7話の終盤から正座をして観るようになっていた。
今までドラマを観て、その公式ホームページなど見に行くことなど全くなかった。
しかし、「僕の生きる道」の公式HPに訪れ、特にBBSの書き込みを読むと、自分の置かれている環境と同じ境遇な人や、ご自身が闘病されている人、自らの生き方に言及されている人、多くの意見を聞くことが出来た。
放送終了後、惜しまれつつも公式HPはあっという間に終了していった。まるでドラマの中身と同じように、あまり多くのものを残そうとしないかのように。
ただ、少なくとも私には、おそらく多くの人がその心に何かが残っていたのだろう。
私は初めてWEB上の世界に足を踏み入れた。
その頃、様々な人が「僕の生きる道」に関するホームページを立ち上げていた。
私も、そちらに足しげく通わせていただきました。
そんな中、私にとって信じられないことを起こした。
小学校に入学し、大学を卒業するまで一番苦手な教科は何か?と聞かれたら間違いなく「国語」と答える私だけど、「僕の生きる道」の二次小説を書いていた。正直、書きあげた文章はお粗末としか言いようがないけど、ドラマを観て教わったこと
「やってみましょう」
私がドラマで教わった中で一番背中を押された言葉。
戸惑っている内は何も始まらない。勿論、慎重にならなくてはいけないこともあるが、間違っていると気がついたらまた元の道へ戻れるなら、やってみればいい。
二次小説を書き、気がつけば、自分のホームページを立ち上げていた。
2004年9月23日、秋分の日にパソコンにプリインストールされていたホームページソフトを使い、その日のうちに見よう見まねで立ち上げた。
ブログではないのでコメント欄も無いし、掲示板機能も付けていない。
当時、自分では一方通行の自己満足HPと言っていた。
その後コンテンツも増やし、「僕の生きる道」以外にも掲載することが増えていった。
日記コンテンツも付けたので、日々更新を続けたけど、思わぬ事態が。
このHP作成ソフト、素人でも簡単に使えるのだが、非常に重かった。
画像の掲載量が増えるに従い、ソフトを立ち上げるのに20分近くかかり、保存するのも同様。
パソコンを買い替え、CPU性能やメモリーも優秀になって改善はされたけど、やはり頻繁に更新するには厳しい環境に。
当時は毎日更新していたので、HP更新が生活に影響することが増えてきた。
これって本当にいいことなのか?
悩んだ結果、出した答えがブログ化。
HPの中で更新頻度が高いのが日記部分。となると、その日記コンテンツだけブログにすればいい。
そこで2006年5月5日に立ち上げたのが「四畳半の日記帳」でした。
おかげさまでホームページの更新に比べて、なんて楽なんだろう・・・と思い、積極的に更新を行い、沢山の方に訪問を頂き、沢山の励ましや助言を頂きながら今日まで続けております。
ところが、ホームページ「書斎は四畳半」が置き去りになってしまった。
途中でデータを大きく変更する際に、データ破壊をしてしまい、取り敢えずHPを休業中にした。
中身を整えなければと思いつつ、バックアップが追い付いておらず、書きあげた二次小説も失ったものが沢山ある。
そして休業中としてからどんどん日数だけが経過した。
これじゃあ、いかん。
もう立ち上げが出来ないなら、消去しようと思った。
実際、手元に残っているデータを少しずつ、ブログ「四畳半の日記帳」のこっそりと移し始めた。(敢えて古い日付を付けて最新の更新には出ないようにしていました)
それでも、あの立ち上げた頃の感覚や、適当につけたんだけど、ずっと引っ張ってきたHPのタイトルを失うことに躊躇した。今のメインブログ「四畳半の日記帳」の『四畳半』って何?
という中途半端になりそうなきがする。
いや、正直惜しいのだろうな。
で、ふと気がついた。
このブログ、サービスで複数持つことが出来る。
私が作ったHP「書斎は四畳半」自体をブログ化しようと。
日常のことは今まで通り、「四畳半の日記帳」で更新を続け、原点である「僕の生きる道」関連については引っ越しと再生をしたい。もう、ドラマの放映が終わり7年が経過しているんだから、新たな更新は少ないかもしれないけど、それでも足跡は残そう。
HPの時と同じ雰囲気にはならないかもしれませんが、取り敢えず
「やってみましょう」
中村先生の声が響いています。
放映前、あまり事前情報は耳に入れなかった。断片的に入ってくる情報はどちらかというと耳をふさぎたくなることの方が多かった。
その時、私の家族は闘病の真っ最中。病院へ連れて行った時には余命など無かった時。
出演者に関しても、特に「この人が好きだ」という心理も無かった。
正直観るつもりはなかったが、正月進行が続くテレビ観賞の中、偶然チャンネルをそこに合わせてしまった。
第一話を観て、あまりに辛くなりその後しばらく放映を観ることができませんでした。
第5話の途中を一部観て、第6話からほぼ復帰。第7話の終盤から正座をして観るようになっていた。
今までドラマを観て、その公式ホームページなど見に行くことなど全くなかった。
しかし、「僕の生きる道」の公式HPに訪れ、特にBBSの書き込みを読むと、自分の置かれている環境と同じ境遇な人や、ご自身が闘病されている人、自らの生き方に言及されている人、多くの意見を聞くことが出来た。
放送終了後、惜しまれつつも公式HPはあっという間に終了していった。まるでドラマの中身と同じように、あまり多くのものを残そうとしないかのように。
ただ、少なくとも私には、おそらく多くの人がその心に何かが残っていたのだろう。
私は初めてWEB上の世界に足を踏み入れた。
その頃、様々な人が「僕の生きる道」に関するホームページを立ち上げていた。
私も、そちらに足しげく通わせていただきました。
そんな中、私にとって信じられないことを起こした。
小学校に入学し、大学を卒業するまで一番苦手な教科は何か?と聞かれたら間違いなく「国語」と答える私だけど、「僕の生きる道」の二次小説を書いていた。正直、書きあげた文章はお粗末としか言いようがないけど、ドラマを観て教わったこと
「やってみましょう」
私がドラマで教わった中で一番背中を押された言葉。
戸惑っている内は何も始まらない。勿論、慎重にならなくてはいけないこともあるが、間違っていると気がついたらまた元の道へ戻れるなら、やってみればいい。
二次小説を書き、気がつけば、自分のホームページを立ち上げていた。
2004年9月23日、秋分の日にパソコンにプリインストールされていたホームページソフトを使い、その日のうちに見よう見まねで立ち上げた。
ブログではないのでコメント欄も無いし、掲示板機能も付けていない。
当時、自分では一方通行の自己満足HPと言っていた。
その後コンテンツも増やし、「僕の生きる道」以外にも掲載することが増えていった。
日記コンテンツも付けたので、日々更新を続けたけど、思わぬ事態が。
このHP作成ソフト、素人でも簡単に使えるのだが、非常に重かった。
画像の掲載量が増えるに従い、ソフトを立ち上げるのに20分近くかかり、保存するのも同様。
パソコンを買い替え、CPU性能やメモリーも優秀になって改善はされたけど、やはり頻繁に更新するには厳しい環境に。
当時は毎日更新していたので、HP更新が生活に影響することが増えてきた。
これって本当にいいことなのか?
悩んだ結果、出した答えがブログ化。
HPの中で更新頻度が高いのが日記部分。となると、その日記コンテンツだけブログにすればいい。
そこで2006年5月5日に立ち上げたのが「四畳半の日記帳」でした。
おかげさまでホームページの更新に比べて、なんて楽なんだろう・・・と思い、積極的に更新を行い、沢山の方に訪問を頂き、沢山の励ましや助言を頂きながら今日まで続けております。
ところが、ホームページ「書斎は四畳半」が置き去りになってしまった。
途中でデータを大きく変更する際に、データ破壊をしてしまい、取り敢えずHPを休業中にした。
中身を整えなければと思いつつ、バックアップが追い付いておらず、書きあげた二次小説も失ったものが沢山ある。
そして休業中としてからどんどん日数だけが経過した。
これじゃあ、いかん。
もう立ち上げが出来ないなら、消去しようと思った。
実際、手元に残っているデータを少しずつ、ブログ「四畳半の日記帳」のこっそりと移し始めた。(敢えて古い日付を付けて最新の更新には出ないようにしていました)
それでも、あの立ち上げた頃の感覚や、適当につけたんだけど、ずっと引っ張ってきたHPのタイトルを失うことに躊躇した。今のメインブログ「四畳半の日記帳」の『四畳半』って何?
という中途半端になりそうなきがする。
いや、正直惜しいのだろうな。
で、ふと気がついた。
このブログ、サービスで複数持つことが出来る。
私が作ったHP「書斎は四畳半」自体をブログ化しようと。
日常のことは今まで通り、「四畳半の日記帳」で更新を続け、原点である「僕の生きる道」関連については引っ越しと再生をしたい。もう、ドラマの放映が終わり7年が経過しているんだから、新たな更新は少ないかもしれないけど、それでも足跡は残そう。
HPの時と同じ雰囲気にはならないかもしれませんが、取り敢えず
「やってみましょう」
中村先生の声が響いています。
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