SSブログ

Our Dream Come True(5) [書斎の本棚]

二次小説です。


長い作品となり、分割掲載しておりましたが、これでラストとなります。




Our Dream Come True(5)
さて、校内に入っていいか迷っていると赤井先生が背後の校庭の方からやって来た。

「あれ?杉田じゃないか」
「あ、赤井先生。こんにちは」
「こんなところで何してるんだ」
「いや・・・実家に帰って散歩してたら、何となく来ちゃいました」
「そうか、そうか。まあ、入んなよ」
「はい」

久しぶりに入る母校は全然変わっていないのだが、なんか不思議な感じがした。
スリッパに履き替えて、赤井の後に続く。

「弟はちゃんと勉強してますか?」
「ああ、サッカー禁断症が出ているみたいだけど、要領いいからね。模試ではA判定取ってるよ。」
「そうですか。あいつ何にも言わないから」
「照れくさいんだろ」

職員室のドアを開けて赤井が中に入る。

「お客さんですよ」

赤井が中にいる先生方に声をかけた。
めぐみが中に入ると、すぐそこに座っているみどり先生が振り返った。

「あら、杉田さん」
「こんにちは」

よく見ると、自分が通っていた時と先生たちが座っている場所が同じだった。
ただ、みどり先生の向いの席には本や文房具が並んでいるが、誰も座っていなかった。
多分、知らない誰かなんだろう。

奥のほうでは教頭先生が立ち上がった。

「教頭先生、こんにちは」
「こんにちは。よく来たね」

麗子先生や久保先生も近寄ってくる。
あっという間に囲まれてしまった。
本当にこの先生方は変わらない。

一時間ばかり話をして、めぐみは学校を出た。
高校時代を思い出して、一時間はあっという間に過ぎてしまった。
本当に陽輪学園には素敵な思い出ばかりある。
確かに中村先生が逝ってしまったが、それでも素敵な高校時代だと言える。


家を出たときと打って変わって明るい表情になっためぐみを母は迎えた。
ちょっとほっとしながら、一緒に夕食の準備をした。
家族四人揃って食事をした。





ボイストレーニングの先生が来ると、めぐみは開口一番お願いをした。

「先生、お願いがあるんですけど」
「なんですか?」
「コンテスト直前なんですが、歌を変更したいんですが・・・」
「え?」

先生は驚いた。
コンテストは今週末だった。最近調子が上がらないめぐみを心配していたが、随分思い切ったことを言うと思った。
でも、どっちみち今のままではコンテストで入賞出来る見込みは無い。先生は口を開いた。

「どの曲に変更すると言うんだい」
「のばら」
「のばら?のばらって・・・」

ボイトレの先生は鍵盤を叩き始めた。

♪♪♪♪♪・・・・

「この・・・のばらかい?」
「はい」

めぐみは自信たっぷりと頷いた。

取りあえず、歌わせてみるか、と考えた。

「別に課題曲は自由だし・・・歌ってみるか」

と言って伴奏を始めた。
めぐみも歌いだす。

♪童は見たり、野中のバラ♪

めぐみは歌いだした。
真っ直ぐ前をみつめて、1小節1小節を大切に歌った。
めぐみは自分の世界に入っていった。
級友たちに囲まれているようだ。
ピアノを弾いているのは・・・ボイトレの先生ではなく、みどり先生が身体を揺らしながらリズムを取っている。そして目の前では中村先生が指揮を取っていた。
めぐみは吸い込まれていった。
そうなんだ、私は聞いている人を吸い込んじゃうような歌を歌いたい。
それには、自分自身が吸い込まれなきゃ人を吸い込むことなんて出来ない。
歌いながら気づいた。



先生は満面の笑顔を浮かべながら、大きく口を開けるめぐみを見ていた。
本当に楽しそうに歌っている。
彼女はこの曲に余程思い入れがあるのだろう。
聴いていて吸い込まれそうな気がしていた。

一番だけで終わらせるつもりが結局フルコーラス弾いてしまった。
先生はめぐみに言った。

「今週末はこの曲で行きましょう。曲の変更は僕のほうから言っておきます」
「はい」

曲は野ばらで決まった。




書類を提示して、めぐみは控え室に通された。
大きな部屋の真ん中にテーブルが置かれ、部屋の端にはパイプ椅子が並べられていた。
緊張感など微塵も感じさせない、自分と同世代の女の子がテーブルに両肘をついて楽譜を眺めていた。
反対側では中学生くらいの子が、スナック菓子を食べていた。

部屋の隅っこのパイプ椅子に座って、ヘッドフォンをして小さく口ずさんでいる子もいる。
目を閉じて集中している子もいる。
みんな、思い思いの方法で出番を待っていた。

めぐみは空いているパイプ椅子に座り、受付でもらった番号札をブラウスの裾にピンで留めた。


全員が揃ったようだ。
係員が全員を集めて、予定を説明した。

コンテストは本大会で、まずは全員でステージで集合するという。
みんなについていった。

一際明るいステージに立つ。
ホールの客席に、お客さんはいなかったが、その代わりにカメラが一斉にフラッシュを点した。
音楽関係の雑誌の記者やテレビ関係者もいるようだ。
めぐみは、これならもう少し見栄えのする服にすればと後悔した。

ふふふ

めぐみは笑った。
緊張感はなく、楽しんでいた。
あの合唱コンクールのピンチに比べたら大したことはない。
あのコンクールは是が非でも勝ちたかった。先生の為に勝ちたかった。
今日のコンテストも出来れば優勝したい。
でも、これが駄目でも次がある。

― 精一杯歌うだけ ―

めぐみはもう一回前を見た。
最前列には審査員らしき人が横一列に座っていた。

レコード会社の誰かがコンテスト開催の挨拶をして、私たちはステージを一旦降りた。



エントリーナンバー1番の子と2番の子だけを残して控え室に戻っていった。
さっきと同じ位置に腰をかけた。

また、壁に向って発声する子もいる。
めぐみは今更練習するつもりもなく、周りのみんなを見ていた。

しばらくして、1番の子が帰ってきた。
帰ってくるなり、テーブルに伏して泣き出した。
どうやら、思い通りに歌えなかったのだろう。

係員の誘導で3番の子が部屋を出た。
今頃、2番の中学生位の女の子が審査を受けているはずだ。

2番の子が帰ってきた。
彼女は無表情のまま、席に座ると食べかけのスナック菓子をまた食べ始めた。


こうして、順番は進みめぐみは係員に呼ばれた。
案内されるまま、ステージの袖で待機しているように言われる。
パワフルな歌声と演奏が耳に飛び込んでくる。
予選から突破してきただけあり、流石に上手いと思った。
曲が終わった。
めぐみはステージに上がった。


すれ違った娘はホッとした表情をしていた。
めぐみは真ん中に立ち、まっすぐ見据えた。

進行役がめぐみを紹介する。

「杉田めぐみさん、のばらです」

伴奏が始まる。
審査員はのばらと言われて、ピンと来なかったようだが伴奏で気がついたようだ。
みんなちょっと驚いた表情をしていた。

めぐみはそんなことには全く気にもせず、歌に集中していた。
そして、一気に歌い上げた。

華やかさは無いが、シンプルが故にめぐみの歌唱力は伝わったようだ。





めぐみは一礼してステージを降りた。

控え室に戻り、部屋の隅にあるポットでお茶を入れて飲んだ。
めぐみは満足していた。
これまで多くのオーディションを受けたが、今日ほど満足した日は無かった。
オーディションの規模や内容ではなく、今日ほど歌っていて楽しかった日は無かった。
歌手になりたい。でも、楽しく歌いたい。それが分かった。










「残念だったな」
「はい。でも、また練習します」
「そうだな。じゃあ、始めるか」
「はい」

めぐみは残念ながら優勝することも入賞することも出来なかった。
ボイトレの先生は、下手な慰めなど無しにレッスンを始めた。

めぐみはボイトレに励み、バイトも全力投球した。
そして、一日を終えると部屋のパネルにいる中村先生と仲間のみんなの写真に話しかけ、また明日からの自分の励みにしていた。








それから一週間が経った。
ボイトレの先生から、レッスン前に話があるから、1時間早く来れるかと電話してきた。
バイトはレッスンが終わってからだから、めぐみは全く問題がなかった。


「杉田さん、呼び出して悪かったね。」
「いえ、大丈夫です」
「実は、先日のオーディションで君の歌を聞いて、君に興味を持っている人が居るんだ」
「え?」
「古い友人でね。小さい事務所を経営しているんだ」
「はい・・・」
「で、今日来ているんだけど、会ってみるかい?」
「・・・・・」
「身元は保証する。話を聞くだけで断っても構わないよ」
「はい」
「うん。じゃあ、一緒に行こう」





めぐみは先生に連れられて、ミーティングルームに入った。
テーブルには先生と同じ年齢位のスーツ姿の男が座っていた。
部屋にめぐみ達が入ってきたのを見て、立ち上がった。
彼はニコニコしていた。

「はじめまして」
「はじめまして、こ、こんにちは」

その男は名刺を差し出した。
めぐみはそれを受け取る。
めぐみの聞いたことの無い芸能事務所だった。

「この前のオーディション、見させてもらったよ。」
「はい」
「さすが、決勝大会に出場するだけあって・・・というより、こいつが推すだけあって歌は申し分なく上手かったよ。他の子たちもやっぱり上手かった。でも優勝した子も、準優勝した子も、妙にオーディションなれしていてね。見ていてつまらなかったんだよ。あくまでも、あのレコード会社のオーディションだから、僕に直接関係するわけじゃないからね・・・。早々に帰ろうかなって思っていたら、のばらを歌う子がいるという。気になってもう少しいようと思った。そうしたら、とっても楽しそうに歌ってるじゃないか。結局腰を落ち着けて最後まで聞かせてもらったよ。」

めぐみはそれを聞いていた。
先生が口を挟んだ。
目の前の人の事務所の所属歌手の名前を聞いた。
事務所の名前は知らなかったが、先生が口にする歌手の名前は全て知っていた。

「君の事はこいつから聞いている。もし、君さえ良ければ私の事務所に来ないか?」
「え!」


即答できるはずもなく、先方もゆっくりで構わないと言ってくれた。
社長が帰ってから、先生とも話をした。
確かに甘い事を並べるだけより、信用できるかもしれない。



レッスンを終えて、バイトに行った。
そうだ!事務所に勤めるようになったら、このバイトはどうなるんだろう。
最近、バイトを辞める人が続出して人出が不足している。
アルバイトを急募しているが、集まらない。
今頃からバイトを集め、一人前になってもらわないと年末年始の営業に影響が出る。
それが気がかりだった。

アパートに戻っても、そのことばかり考えていた。




もらった名刺の電話番号に電話をして、社長との面会を申し入れた。
あっさりとOKが出て、めぐみが事務所を訪れた。
その事務所は雑居ビルのワンフロアを借りていた。
受付は無く、目の前の内線電話で社長あてにかけると本人が出た。
すぐにやってきて、応接室に通してくれた。

めぐみはアルバイトの事を話した。
今すぐにはやめられないと・・・。

事務所の社長は機能と同じように快活に笑った。

「是非、空いている時間はバイトをして下さい。事情があるようなのですね。良かったら話をしてくれませんか?」

めぐみはコンビニの状況を話した。
社長は頷いていた。
めぐみは話しながら、なにかに導かれるように気持ちが落ち着いてきた。

「君が利益を生み出すまでは、事務所の手伝いをしてもらいます。お給料もバイト並です。だから、コンビニのバイトを続けてもらって構いません」


話し合いの上、契約を決めた。


めぐみは事務所を出るとまっすぐにコンビニに向った。
今回の事務所との契約の話をオーナー夫妻に伝えた。
これにより、間違いなくアルバイトが出来る時間が減ってしまう訳だが、そんなことなどお構い無しにオーナー夫妻はわが娘のことのように喜んでくれた。

「めぐみちゃん、良かったわね」
「でも、お店の人出が少ないときにこんなことになっちゃって・・・」
「何言っているの。あなたは歌手になるためにここでアルバイトをしながら努力してきたんでしょ。その夢が叶うかもしれないのよ。このお店はなんとかなるわよ。」
「そうだよ、めぐみちゃん」

奥からおばあちゃんが出てきた。

「私も久しぶりにお店に出るわ。」

元々このコンビニは酒屋だったのだが、女手ひとつできりもりしてきたおばあちゃん。
腰痛持ちだったが、大丈夫と言ってまっすぐ立ってみせる。
めぐみには分かっていた。おばあちゃんも安心してめぐみが歌手に向って歩き出すのを後押ししてくれるのだ。

「私、バイトをやめるとは言ってませんよ。これからも宜しくお願いします。」

めぐみは頭を深々と下げた。




週が変わるとめぐみの新しい生活が始まった。
毎朝、決まった時間に事務所に出勤した。
歌手の活動など全く無く、それどころか何の仕事の説明も無く、取りあえず一週間は周りの様子を見てと言われる。

事務所にはたまにテレビで観た事のある人がやってきた。
仕事の打ち合わせの為らしい。奥の部屋でミーティングをしている。
先輩から、何人かの専属歌手を紹介された。
顔を見ても誰だか分からない。
さっきの有名な歌手とは違って、この人達は事務室の空いた椅子に座って、気さくにおしゃべりをしていた。
何も仕事の無いめぐみは聞き耳を立て、話の内容を聞いていた。

彼女等はイベント中心に活動をしているようで、子供向けのショーのことを話していた。




一週間はあっという間に経過した。
いつも忙しくしていためぐみにとって、何もしないということは苦痛でもあったが、しっかりと周りは観察し、想像以上に事務所の仕事はそんなに派手な事は無いという事に気がついた。
事務所に所属している歌手の中で名の売れている人は滅多に現れなかった。
逆にそれ以外に契約している歌い手は、細かいショーや企画の為に頻繁に事務所に来て打ち合わせをしている。

電話の鳴る回数はそこそこ多くて、めぐみは今週からそれに対応するように言われた。
手元にカレンダーの裏の白い部分を適当な大きさに切って置いておいた。
先輩からはとにかく相手の名前だけは聞いておくようにと言われていた。

しかし、コンビニでも電話対応をしてきためぐみにとって、電話の対応は問題なくこなせた。



めぐみは他の事務員より早い時間に退社する。
ボイスレッスンは続けている。
コンビニにはその後に顔を出して、数人応募のあった新人の育成に努めた。
でも、時間の融通が利かないので、昼間のバイトが少ない時間に手伝う事が出来ず、申し訳ないと感じている。



めぐみのこのような生活はしばらく続いた。
事務仕事に関しては次々と新しいことを教えてくれるが、今のところ、歌手としての仕事は見えてこない。
でも、めぐみは不満など言わずに事務仕事を覚えていった。
覚えれば、覚えるほど先輩歌手のしている仕事の内容が見えてきた。

童謡のCDでデビューを果たした30代前半の女性の先輩歌手がいる。
CDデビューをしていても、仕事が常にあるわけじゃない。
彼女も毎日のように事務所に顔を出しては、電話が鳴ると条件反射のように誰よりも早く電話に出る。
めぐみは外から見た歌の世界と比較して現実の厳しさを理解した。


でも、めぐみは歌手になる夢を捨てる事など考えていなかった。
スポンジのように、知識や仕事を吸収していく。

そんな様子を事務所の社長はしっかりと見ていた。




「もしもし・・・、あ、先生ですか。・・・はい、彼女は聞いていた以上にしっかりとした子ですね。正直驚いています。・・・はい・・・はい・・・ええ、じっくりと育てていきますよ。いや、育てるというより彼女自身の力で這い上がってくると思いますよ。・・・はい・・・。僕は彼女が前に進むのを側面的に助けるだけですから。・・・いや先生、お礼など言わないで下さい。僕もビジネスとして彼女を預かっているだけです。もし、彼女が歌手になる情熱を捨てたり、僕が思っている方向に進まないなら、すぐに放り出しますよ。・・・え?そんなことないと思っているだろうって・・・先生もそう思っているから後押ししてるんでしょ。・・・信じてますよ、彼女の情熱を・・・。あのひた向きさを。・・・・・はい、では又今度飲みに行きましょう。はい・・・失礼します」

受話器を置くと、社長は煙草に火をつけた。
肺に入れた煙を一気に吐き出すと、椅子を回転させ窓の外を見た。
窓の外は寒そうだった。
社長は回転の早い思考を巡らせ、めぐみの活動予定を描いてみた。



めぐみはショーの企画の手伝いをしていた。
ショーと言ってもデパートの屋上の子供向けのショーや週末の温泉ランドのショーが中心だった。
それでもめぐみは嬉しかった。
すくなくとも、そこには歌があった。
先輩歌手が歌う、戦隊物の番組の主題歌に目を輝かせながら子供たちが一緒に歌っている。
めぐみが聞いた事も無いような昔の歌に手拍子をしながらリズムを取る、おじいちゃんおばあちゃんがいる。
歌の素晴らしさは、デビューの有無に関係ないと思った。

ただ、残念なのはそれを舞台の裏から、横から見ていることだった。
やっぱり歌いたかった。


今日もめぐみはスタッフとして郊外の公民館へ向った。
スタッフと言っても事務所からは3人だけ。それにバイトが5人だった。
子供達に歌を歌う山本さんは後から別行動でやってくる。

アルバイトを中心に会場設営が始まった。
監督役のめぐみも彼らに混じって作業をした。
監督と言ってもキャリアはバイト連中の方が長く、めぐみが手伝っていると言ってもよかった。

「杉田さん!」

めぐみは先輩から声をかけられた。

「参ったよ、山本さん具合が悪くなって病院に寄ったらしい。そしたら、そのまま緊急入院したらしい」
「え!?」

♪♪♪プルルルルル♪♪♪


先輩の携帯電話が鳴った。

「はい、社長・・・・・あ、今目の前にいます。・・・分かりました。」

先輩は携帯をめぐみに差し出した。

「めぐみちゃん、社長が電話に出てくれって」
「はい・・・」

めぐみは携帯電話を受け取った。

「もしもし」
『もしもし、私だけど・・・ちょっと話を聞いてくれるかな』
「はい」
『聞いているかもしれないけど、今日そっちで歌うはずだった山本君が入院してしまった』
「山本さん、大丈夫なんですか?」
『ああ、1,2日寝てればすぐに良くなるって。医者にどうしても歌わなければと言ったらしい。のどが腫れているみたいで医者は許さなかった。無理を言うから、そのまま入院させたらしい』
「そうですか・・・」
『それでだ、杉田さん・・・今日、そのショーは君が歌ってくれないか?』
「わ・・・私がですか?」
『今から、代わりの歌手をそっちに差し向けてもショーの開始には到底間に合わない。子供たちは今日のショーを楽しみにしているんだ。大人の都合で諦めてもらうなんて出来ない。君もそう思うだろ』

めぐみは社長の言葉を聞いて考え始めていた。
打ち合わせにはずっと参加しているので、予定していた歌は全て知っている。足りないのは自分の気持ちだけだった。
でも、子供達の顔が浮かんだ。そして、中村先生の穏やかな顔も浮かんできた。

「分かりました。私、歌います」
『うん、ありがとう』

携帯電話を先輩に返す。
社長と先輩は以降の打ち合わせについて話をしていた。
めぐみは会場の設営を急いだ。
アルバイトの中で、同年輩の一番の古株に今から歌うことを告げると

「会場のセッティングはこっちでやっておくよ。めぐみちゃんは歌の準備をしなよ」

と言ってくれた。
皆が後押しをしてくれる。
めぐみはスタッフに用意されていた、控え室に向った。


事務所の先輩と一緒にステージに立った。
ステージと言っても、公民館の端っこを少し飾りつけただけでお客さんと高さも変わらない。
子供たちはその場で座って待っていた。
父兄たちはやや後方で立って見ていた。一人で観るのが嫌でお母さんに抱えられながら観ようとしている子供もいる。
小さい公民館だが、ざっと数えてみても200人くらいのお客さんが来てくれた。町が主催した子供向けのイベントとしてはまずまずの人出だろう。

先輩のお喋りでショーは始まった。
練習からずっと参加してきたのでだいたい流れは把握していたが、トークの部分は覚え切れていない。
ステージに上がる前に先輩からは心配しなくていいよ、話す内容なんて予め決めていても、結局変わっちゃうんだから。僕がうまく杉田さんに話を振るから、それに受け答えして・・・と言っていた。
そして、そのとおり先輩はその場の流れに合わせてめぐみに話を振ってくれる。めぐみは、それに合わせて答えるだけでよかった。

そして、歌が始まる。伴奏が聞こえてきた。
間もなくやってくるクリスマスソングや最近話題のアニメの主題歌、童謡を歌う。
うっかり、先輩のパートも歌ってしまったところもあったが、先輩がうまくフォローしてくれた。
めぐみは歌う事で精一杯で、おどりや派手なアクションは先輩が一人で受け持っていたが、段々と子供たちと一緒に楽しむ事が出来て、自然と身体が動き出した。
めぐみは歌って本当にいいなと感じていた。



ショーは終了し、子供たちは笑顔で返って行った。
飾り付けの撤去作業を始めると、めぐみは後ろから肩を叩かれた。

「社長!」
「ご苦労さん。大変だったな」
「はい。うまく出来たか、よく分かりませんが・・・」

そばで聞いていた先輩は

「上出来だよ。初ステージであれだけ出来たなんて正直びっくりしたよ」

と言ってくれた。

「僕は君のショーを観る事は出来なかったけど、帰っていく子供達の表情はすれ違いながら見ることは出来たよ。あの笑顔ならきっと満足してくれたはずだよ」
「はい」

めぐみは安心したように笑った。

めぐみ達は撤去作業を続け、社長は町役場の催事係りに挨拶に行き、不手際を詫びた。



めぐみ達はワンボックスに乗りながら東京へ目指す。
社長が運転している先輩に何か話していた。
高速の出口で降りた車は事務所の方に向わずに違う方向に走った。
車は大きな病院の前で停まった。
社長は

「じゃあ、みんなお疲れ様」

と言って、降りた。
めぐみはピンと来た。この病院に入院しているんだと。

「先輩、私もお見舞に行っていいですか?」
「ああ、行ってきな」
「はい。じゃあ、失礼します」
「おつかれ」

車を降りためぐみは信号待ちをしている社長に追いついた。

「私も一緒に行っていいですか」
「ああ、構わないよ」

信号は間もなく変わりそうだが、めぐみはそこに花屋があるのに気がついた。

「社長、お花買ってもいいですか?」
「ああ、そうしよう」

めぐみはお見舞い用にアレンジメントをお願いした。
財布を取り出そうとすると、後ろから社長が1万円札をさっと差し出した。
社長はニコッと笑っていた。

病室の先輩歌手は聞いていたとおり元気そうだった。
何か言いたいことがいっぱいあるようだったが、社長に喉を使うことを制止されておとなしくなった。
でも、めぐみが変わりを務めた事を聞くと礼を言った。



帰り道、めぐみは駅まで社長と一緒に歩いていた。

「杉田さん」
「はい」
「今日、歌ってみてどう思った?」
「楽しかったです。やっぱり、大好きなんだって思いました」
「そう。じゃあ、これからも色々なことがあるかもしれないけど、一緒にやっていきましょう」
「はい!」

澄んだ空気に星が綺麗に瞬いていた。




この日以降、めぐみはショーに登場する機会が増えていった。
レコードデビューはまだまだ遠い道のりに感じたが、それでも大好きな歌を歌えて、子供たちが喜んでくれるくら充実した毎日を過ごしていた。


イベントショーやコーラスの参加など、いつの間にか事務所仕事より、そとに出て歌う仕事の方が多くなってきた。それでも、めぐみは時間の許す限りコンビニにも顔を出した。


新しい年を迎えるとめぐみは忙しい毎日となった。
その安定した歌唱力は関係者の中でも周知の事実となり、ついにコンサートの帯同コーラスとしてオファーが来た。

めぐみはステージ上でスポットライトを浴びていた。
アイドルタレントが歌手デビューをして初めて執り行うコンサートで、決して歌唱力は高い方ではない。でも、勢いそのままに客席は満員だった。
めぐみは、3人並んだコーラスの一人として、主役の歌唱力のフォローをしていた。めぐみはいつかあそこに立つんだと改めて誓った。


アイドル歌手のコーラス参加として全国を廻ったが、今日で最終日だった。
観客は自分の歌声をどこまで聞いているか分からないが、大勢の観客の前で歌うことはやっぱり気持ちよかった。
それも今日で最後かと思うとちょっと淋しく思えた。

所属事務所は違うけど、3人のコーラスは全員同世代。だが、めぐみ以外はレコーディングコーラスとして活躍しており、めぐみの一歩前を歩いていた。
全国各地を廻る間にとても仲良くなり、まためぐみにとっても参考になることをいっぱい聞いた。

今日はライブDVDの収録日だった。
これまで以上に機材が持ち込まれ、リハーサルも早く始まった。
バンドのメンバーもコーラスの3人も、普段着ながら所定の場所にスタンバイをしていた。
ただ、このライブの主役であるアイドル歌手はいなかった。
単発ドラマの主役を演じている彼女は、その収録が押し気味だった。
なんでもそつなくこなす彼女の事は心配なかったが、一発勝負の収録ではスタッフの方にプレッシャーがかかる。カメラマンと照明担当から、一回でも多くのリハーサルをしたいと申し出がある。
コンサートディレクターは、目に入ったコーラスの3人組でたまたま一番手前にいた女性を呼んだ。

手招きされためぐみはディレクターのもとに寄る。
意図を簡単に説明し、めぐみも把握した。

その様子を見て音響スタッフからもチェックをしたいということになり、結局、主役抜きで通しリハをすることになった。
ディレクターは適当に動いて、声を出せばいいよとめぐみに言った。
めぐみは大掛かりになったと思うが、観客も入っていないステージのリハーサルなのでリラックスしていた。

ジーンズ姿のめぐみにはハンドマイクが渡された。
バックバンドも楽器の準備が整い、ディレクターの合図でライブのスタートからリハーサルを開始した。

そのアイドル歌手のデビュー曲が最初の曲だった。
分かる範囲でやればいいと言われためぐみだったが、イントロが流れている間、ステージを右に左に動くさまは、これまでのライブでアイドル歌手がとったアクションそのままだった。

コンサートディレクターは感心した。よく覚えているなと。
この調子なら、カメラも照明も十二分にチェックが出来るだろうと思った。

そして、歌の部分が始まった。
めぐみはマイクを構えて歌いだした。

マイクを通じて誰もいない客席にめぐみの声が広がる。
動きはアイドル歌手の真似をしていた。歌もコーラス部分ではなく、メインの旋律をしっかり歌っていた。
だが、アイドル歌手のその曲とは違うものになった。

コンサートディレクターは、各ポジションのリハーサル具合のチェックを忘れて、思わずめぐみの歌声に吸い込まれた。
同じ曲を同じ演奏の中で歌い上げているのだが、アイドルが歌う、若々しく、跳ねるような歌、その容姿に、その動きに魅入るのだが、めぐみの歌声は思わず、目を閉じて聞いてしまう。広い空間を感じるような歌だった。

めぐみは、最初の曲を完璧に歌い上げ、振り付けをこなした。
その時、愛くるしい笑顔を振りまく本日の主役が登場した。

コンサートディレクターはめぐみに本来のポジションであるコーラスに戻した。
2曲目からリハーサルは再開され、アイドル歌手のはじけるような歌声が響いた。
コンサートディレクターはアイドル歌手の歌声をどこか遠くで聞いていた。
3曲目に用意されたしっとりしたバラード、6曲目のパワフルな楽曲、それをめぐみの声で聴いてみたいと思っていた。それでも、仕事だと割り切り、アイドルの動きを追いかけ、各ポジションの動作を確認した。



全国14箇所を廻ったツアーも終了した。
ライブDVDの収録も手応えを感じたスタッフはやっと肩の荷がおりた気分だった。
その夜は打ち上げということになり、アイドル歌手もコーラを片手にはしゃぎ始めた。
コンサートディレクターは、めぐみがどこにいるか探した。
会場を一通り見渡すが、見当たらない。
他のコーラスの女の子に聞くと、もう帰ったという。
コンサートディレクターは残念に思った。別に、めぐみがいたらどうするのかは考えてもいなかったのだが・・・。





「いらっしゃいませ!」

めぐみの明るい声がコンビニに響いた。
夜の11時を回った店は日曜日ということもあり、人気は少なかった。
客がいなくなると、オーナー夫人がめぐみに声をかける。

「めぐみちゃん、さっきまでコンサートだったんでしょ。こっちはいいのよ」
「大丈夫です。コンサートといっても私はコーラスだから。奥さんこそ、休憩してないんでしょ。ちょっと休んでください」
「・・・ありがとう。じゃあ、すぐに戻ってくるから。よろしくね」
「はい。いってらっしゃい」

めぐみはライブ会場からコンビニに行くと、女子高生と奥さんが店番をしていた。
その女子高生に聞くと、4時くらいから奥さんは店に居続けているらしい。オーナーは昨晩、夜勤から昼すぎまで働き続けで、そろそろ起きだす頃らしい。
女子高生は10時で仕事は終わり。12時まで他にアルバイトは入ってこない。
それを聞いためぐみはバイトの予定は無かったが、ユニフォームに着替えて店に入って行ったのだ。

30分ほどして、奥さんが帰ってきた。0時には男子のフリーターがやってくる。
オーナーもその頃に店に出てくるという。
めぐみは結局、0時まで働いた。

「めぐみちゃん、ありがとう」

オーナーも恐縮していた。
めぐみは今までこのオーナー夫妻にしてもらったことを考えれば、ちっとも苦にならなかった。



事務所の仕事は2日間、休暇が与えられていた。
コンビニのバイトの入り具合をチェックしためぐみは翌日もバイトをした。



事務所に出勤すると社長に呼ばれた。

「杉田さん、ライブツアーお疲れさま」
「はい、お疲れ様です」
「それで、杉田さん、ツアーが終わったばかりだけど、もう一度ツアー仕事してみないか?」
「はい。喜んで」

めぐみにしてみれば、仕事を選ぶことなどなかった。

「この前のツアーのコンサートディレクターが杉田さんに是非と名指しで来たんだ」
「え?」
「ただ、ディレクターは君を気に入ってるけど、歌い手の方がどういうかわからないから、一度会ってみる必要が有るんだ」
「誰ですか?」

社長はクリアファイルに入った企画書をめぐみに差し出した。
表紙にはめぐみには信じられないくらい有名な歌手だった。
最近こそ、ヒット曲に恵まれないが、一時期はCDを出せばミリオンセールとなった程だ。
そのライブには定評があり、今でもライブがあれば、幅広い世代のファンが集まる。
先日のコンサートディレクターはこの歌手のライブも毎回手がけていた。
常に最高の演出を求めながらも、やはり歌がメインと思っており、力強いこの歌手のコーラスを努めらる人材を探していたのだ。
ディレクターは先日の一曲ですっかりめぐみに魅了されていた。


その後、その歌手とも面接があり、歌唱力のチェックも行われた。
めぐみの歌声は、その歌手にも認められた。



めぐみはマイクを握って、ステージに立っていた。
コーラス・・・というより、サブボーカルのようなものだった。
ライブの演出構成上、めぐみ独唱部分も多々あった。

その大御所ファンにもすっかり認められ、めぐみの存在は無くてはならない存在となった。
ライブ以外でもテレビ出演の時や、新曲の収録の際にもめぐみは呼ばれた。

めぐみは自らの力で夢への扉を開きつつあった。




高校を卒業して5年が経過した。
めぐみも忙しい毎日だったが、この日は社長に無理を言って休暇をもらっていた。

めぐみは柔らかい日差しの中、緑の芝生も綺麗な公園にいた。
すぐそばには大きな木が立っている。ビニールシートを何枚も広げてある。
隣にはみどり先生がいた。
G組のみんなも集まりつつあった。
同窓生の殆どが社会人2年生で、そろそろ息の抜き方も覚えだした頃だった。
社会人の先輩として、りなや栞の愚痴を聞いてあげたりした。

同窓生の中にはもう母親になった子もいた。
めぐみは改めて5年という年月を噛み締めていた。

そこに吉田が雅人と萌を連れてきた。
今年から母校の陽輪学園で働き出した均がこの同窓会の幹事だった。
最後にバスでやってきた、二人を公園の門で待っていたのだ。

「杉田さん、聞いたわよ。CD出したんだって?」
「みどり先生、それは私のCDじゃないんですけど。コーラスで参加してるんです。」
「でも、すごいじゃない。」
「実はみどり先生。・・・まだ時期は決まってないんですけど、私のデビューの話も上がってるんです」
「そうなの!」
「はい。でも、正式決定じゃないから。・・・もし、決まったら、すぐに先生に報告に来ます」
「うん、待ってる。中村先生も楽しみにしてるはずよ」

そう、言ってみどりはチラッと背後にある大きな木をみつめた。
めぐみも、どこかで中村先生が見守ってくれているのを感じていた。






「失礼します」
「どうぞ」

梅雨入りが間近に迫ったある日、めぐみは社長に呼ばれて社長室に入った。
社長室には、事務所の営業部長も座っていた。

「杉田さん、決まったよ」
「・・・・・」
「メジャーデビューだよ」
「・・・・はいっ!」
「デビューは8月。これから忙しくなる。流石にコンビニ仕事と一緒というわけにはいかない」
「・・・はい」
「デビューに向けてのプログラムは再来週から。それまでに、お世話になった店長さん達に迷惑のかからないようにしなさい」
「はい」

今まで、黙っていた部長がここで話し出した。

「杉田さん、一応芸名を用意してみたんだけど・・・」

A4の紙にプリントされ、何個か候補が挙げられていた。

『綾瀬はるか』から挙げられた芸名の最後に『杉田めぐみ』とあった。

「私が選んでいいんですか?」
「ああ、君の好きなようにしなさい」
「本名でいいですか?」
「わかった」

社長がクスクス笑っていた。
めぐみはキョトンとしている。

「部長、言っただろ。絶対、本名にしたいって言うに決まってるって」
「うーん、完敗です。この綾瀬はるかってのも結構気に入ってるだけどなぁ」
「じゃあ、約束どおり今晩おごりだぞ」
「高い店は駄目ですよ」
「せっかくのめぐみちゃんのデビュー決定祝いだよ。けちけちしない。」
「めぐみちゃん・・・行く?」
「はい!」
「はい、決まり」

事務所が明るくなった。


梅雨明けの夏の日差しは眩しく、でも鬱陶しい雨から解放されたこともあり、めぐみは歩くことにした。
水溜りの残る坂道をのぼりながら、ちょっと体力が落ちたかな?と考えたりした。
高台の公園の木々の緑も、夏の日を浴びて、キラキラ輝いていた。


やがて、母校が見えてきた。
夏休み間近の陽輪学園の佇まいは昔のまま変わらなかった。
あとは一学期の終業式を待つだけで試験休みだった学園は生徒も部活動をしている生徒だけだった。


校門を躊躇無く入っためぐみは一応、受付に廻った。

「こんにちは。卒業生の杉田めぐみと申しますが、中村みどり先生をお願いしたいのですが」
「はい、少々お待ち下さい」

最近、学校も何かと物騒で陽輪学園では警備会社に委託して受付や警備をお願いしていた。
警備員は内線一覧表を見て、電話をかけた。

「あ、受付です。中村先生はいらっしゃいますか?・・・・・あ、そうですか・・・・・実は、卒業生の杉田めぐみさんと仰る方がお見えになりまして・・・はい・・・はい、分かりました。はい、失礼します」

警備員は電話を置いて、めぐみの方に向いた。

「中村先生は、只今席を外しているようです。でも、久保先生が是非職員室に上がってきてくださいとのことです」
「はい。ありがとうございます」

めぐみは来客用のスリッパに履き替えて、校舎に入った。



ノックをして職員室に入ると、久保先生をはじめ、麗子先生、赤井先生がいた。

「杉田さん、いらっしゃい」
「こんにちは」

毎年のように、先生方には会っていた。
今年も五月に行われた同窓会にも先生方には出席してもらっていたので懐かしいとは思わなかったが、学校で先生方に会うのは久しぶりだった。

「みどり先生、吉田先生と合唱に行ってるんだ」
「そうですか」
「吉田先生が顧問になって、今年から正式に合唱部になったんだ」
「へえ。吉田君が・・・」
「覗きに行くか?」
「はい」

久保と一緒に懐かしい体育館を目指す。
螺旋階段もあの当時のままで、めぐみは思わず上を見上げた。
階段を昇る途中から生徒達の歌声が聞こえてきた。

のばらだった。

久保は振り返り、めぐみを見て何も言わずにニコッと微笑んだ。
体育館に入る。



体育館の奥のほうで、10人位の生徒達とタクトを振る吉田均、そして伴奏のピアノを弾くみどりの姿が見えた。

久保と一緒にめぐみは近寄って行った。
めぐみ達の姿に気がついた生徒達は歌いながら視線を二人に向けていた。
その様子にみどりが気づき、こっちを向いた。
めぐみの姿を見つけ、笑みを浮かべた。
均は指揮に一生懸命で背後から近づくめぐみ達には気づいていなかった。


結局、生徒達はのばらを歌い上げた。

鍵盤から手を離したみどりが立ち上がった。

「杉田さん、いらっしゃい」

それで、やっと均もめぐみに気がついた。

「ああ、杉田。来てたんだ」
「お邪魔してます」
「後輩達の合唱はどうだい?」
「とっても良かった。みんな何年生なの?」
「一年生です」

合唱の最前列にいた女子生徒が答えた。
しかし、生徒達はこの女性・・・先輩と思われるこの人が何者なのか知らなかった。
少しざわついていた。
そんな様子をみて、みどりが提案した。

「杉田さん。一緒に歌ってみない?」
「いいんですか?」
「ええ。ねえ、みんないいでしょ?」
「はい」

みどりにそう言われて断る生徒は居なかった。
めぐみが生徒達の間に入った。

「楽譜・・・大丈夫ですか?」
「ありがとう。大丈夫、私たちもずっとこの曲を歌ってたんだ」

均の持つ、中村先生から託されたタクトが動き出した。
みどりのピアノの伴奏が始まる。

童は見たり 野なかの薔薇 ♪

めぐみの歌声に生徒達は驚いた。
その声量は生徒達全員を足しても負けない位で、体育館中に響き渡った。
引っ張られるように生徒達はお腹から声を出した。
みんなめぐみの声に吸い込まれていった。

歌い上げると、周りの女子生徒達はめぐみを囲んだ。

「先輩、すごいですね」
「感動しちゃった!」

めぐみはすっかり人気者になってしまった。

「みんな、杉田にサイン貰っておいた方がいいかもよ」
「え?」
「杉田、今度歌手デビューするんだって」
「えええええええ!!」

吉田が焚き付けたので、めぐみはもみくちゃにされてしまった。

みんな楽譜にサインをねだっていた。

「ちょっと・・・あの・・・私、サイン無いんだけど・・・」

結局、楷書体で杉田めぐみと楽譜に書いて、どうやら生徒達は納得した。
一年生と言ってもやはり進学校。塾があると言って、全員帰って行った。

「気をつけて帰るのよ」
「はーい。杉田さん、頑張って下さい」
「ありがとう」


三人は、生徒達を見送った。

「杉田さん、大変だったわね」
「吉田君があんな事言うから・・・」
「いや、悪い悪い」
「杉田さん、どうしたの今日は?」

みどりに言われて、めぐみはちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。

「先生・・・決まりました。歌も出来ました」
「本当!?おめでとう」
「やったな、杉田」
「だから・・・どうしても、真っ先に伝えたくて」

めぐみは歌手になる夢の後押しをしてくれた恩師を思い出していた。

「中村先生に真っ先に聞いて欲しくて」

めぐみの目は輝いていた。




三人は屋上に出ていた。
初めて自分の夢を語ったあの日の夕焼けではなく、梅雨明けの真っ青な夏の空が広がっていた。
めぐみはスーッと大きく息を吸い込んだ。

♪知らなくてもいいこと あるんだよきっと ♪


決して楽な五年とちょっとでは無かった。
でも、めぐみは後悔したことは無かった。
先生がいたから、クラスメイトがいたから、家族が居たから、仲間が居たから、オーナー夫妻が居たから・・・次々にみんなの顔が浮かんだ。


アカペラで歌うめぐみの歌は青い空に向って広がり、誰よりも先に秀雄の耳に伝わっていると思えた。


めぐみの歌を聞きながら、みどりは秀雄に語りかけた。

「秀雄さん、聴いてますか?杉田さんが歌手になりましたよ」

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Our Dream Come True(..祈り ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。