僕の生きる道 って? [全般]
ふと、気がついた。
ホームページ「書斎は四畳半」を立ち上げたきっかけはドラマ「僕の生きる道」を観た後、色々と思う事があったからです。
2004年にホームページを立ち上げて、その後ブログ「四畳半の日記帳」、そして今現在HPからの移行場所としてブログ「書斎は四畳半」に引っ越し途中です。
そのきっかけとなったドラマ「僕の生きる道」を知らないと、このブログ、コンテンツ(二次小説やロケ地写真)はご理解いただけないでしょう。
DVD化もされているので、勿論観て頂けたらと思うのですが、簡単にご紹介してみましょう。
もうひとつのブログでは詳しく書いていますが、ここでは感覚的なお話を。
※型どおりの紹介はこちらから
2003年1月クールに放映されたドラマ。
この頃は出演者の殆どの皆さんに対して、好きとか嫌いとかの感覚は全くなかった。
前評判はどうだったんだろう?年末の特番で一度だけ観ましたが、その時思ったのは「ちょっと重いテーマ」だな。
その頃、我が家には闘病中の家族がいました。
その出演者たち。その後、他のドラマ・映画などに出てくれば、ちょっと観てみようかな?何て思うようになる。
僕道シリーズは結局全て観た。
草彅君のドラマも観たし、矢田亜希子さんに関しては過去のドラマまで遡って観漁った。
ドラマ内で脇を固めていた役者さん達も注目していった。
生徒役の中には今現在注目を浴びている役者さんが出ていた。
市原隼人さん、綾瀬はるかさん、浅見れいなさん、上野なつひさん、鈴木葉月さん、岩崎杏里さん、内博貴さん、藤間宇宙さん。
やっぱりこの3年G組の生徒たちがテレビに登場すると、つい追いかけちゃいますね。
綾瀬さんに関してはテレビ版「世界の中心で、愛をさけぶ」のヒロイン役に抜擢された際は驚いた。
「あいくるしい」では綾瀬さんと市原さんが姉弟役で再びの競演。
年月が過ぎていくと、「僕の生きる道」のメンバーの競演も増えていきますね。
久保先生を演じた谷原章介さん。彼が出演していたから映画「深呼吸の必要」を観てみたいと思い、結果嵌った。草彅君が出演していたから「愛と死をみつめて」のリメイクドラマを観ようと思った。
そうやって、きっかけがないと観ることは無かっただろうと思われる作品にめぐり会えることもある。
そんな風に思った。
ドラマ「僕の生きる道」
私は放映を楽しみに待ちわびて観た訳じゃない。
その日、偶然にテレビをつけたら、あの重いテーマのドラマが始まった・・・。という程度。
それでも初回の放送を観た。
やっぱり、重かった・・・。
2話・3話・4話と全く観なかった。5話は一瞬だけ、内容は理解できない程度。
そして6話は冒頭から観始めた。
6話を観終わり、来週の告知映像を観て次も絶対観なきゃと思った。
美しい山間のシーンが印象的だった。
それから公式HPへ訪れることとなりました。
ドラマの公式サイトへ訪れるのは初めて。
その当時、我が家はインターネットが出来る環境では無かったので、会社で仕事終わりに眺める程度。
公式HPで見逃した部分のあらすじを読み、壁紙をダウンロードした。
しかし、公式サイトで一番頻繁に訪れる理由になったのがBBSだった。
後から知ったことだが、公式サイトへの訪問数が飛躍的に伸びたのがこの頃。私が訪れたのと同じ時期。
それからは毎週ちゃんと観た。
録画ではなく、リアルタイムで観たいから、仕事を意地でも終わらせて走ってでも帰った。
BBSへの書き込みも凄かった。放映当日から翌日にかけては瞬く間に投稿件数が増えて、仕事終わりしか読めない私は、みんなの書き込みを読み返すのも追いつかなくなった。
「死」は単独では存在しない。
生きた結果、死がある。
ドラマを見終えた後、色んな事をした。
大したことじゃないけどね。
「ま、明日でいいか」と思っていた会社のデスクの整理を思った時にしようと心がけた。
これは無理かな?って思ったことも取りあえずやってみた。
もう一つのブログを観たら分かるかもしれませんが、私ちょっと時間的制約が多いのでが、結構無茶をやって色々やっています。
東京圏から普通なら日帰りで行かないだろうって場所に行ったり、行ったら行ったらで分刻みのスケジュールであちこち観に行ったりと。
諦めないで、やってみる。
そんなことを教わったドラマ。
同じような人がいっぱい居たのでしょう。
僕より若い人も、そうとう人生の大先輩と思われる人も沢山の人がBBSにメッセージを残した。
私も、生まれて初めて、BBSやコメント欄に足跡を残した。
公式HPはドラマ終了後、翌月に閉鎖となった。
あっという間に消えて行った。
ページビューだけなら238万件。投稿投書が約1万8千件。
今現在よりも各家庭のネット契約数が少なく、携帯電話のアクセスが少なかった頃としては物凄い数字・・・らしい。
内容の濃いBBSの書き込みは本になった。
その本「もう一つのぼくの生きる道 BBSに寄せられた感動のメール集」の売り上げの一部はガンの研究のため寄付された。
1,086,696円
本だけでなく、ドキュメント番組も作成された。
BBSに投稿された、闘病中の患者さん、医師、家族。
ドキュメンタリー「僕の生きる道」を辿って。
全日本テレビ番組製作者連盟がテレビ番組の質の向上を目指し設けた賞・・・ATP賞
第20回(2003年)では最優秀賞(ドラマ部門)を取りました。
受賞ではザテレビジョンのドラマアカデミーで最優秀作品賞をはじめ7部門受賞でしたが、ATP賞は嬉しかったです。
さて、ドラマが終わってまだ観ぬ2~5話が気になった。
DVDプレイヤーを購入し、家庭のWEB環境も構築した。
妄想癖があるのか、ドラマのその後や、合間合間の出来ごと、ラジオドラマに登場した結城香奈と神林武志はどうなったのか?
そんな事を考えているうちに始めたのが、二次小説。他の人がやっているのを読んで、やってみました。
「やってみましょう」
ドラマ内の中村先生の言葉に後押しされなければ・・・・以前の自分であれば、書かないし、HPは作らないし、弾丸ツアーはしないし、ロケ地なんて行かないし、ブログもしない、机の整理は明日でいい。
そんな自分が少なからず変わったドラマ。
良いドラマだと思っていました。
翌年、「僕と彼女と彼女の生きる道」の放映が決まり複雑な思いも持ちました。
その際に番宣扱いでしょうね、「僕の生きる道」が再放送されました。
本放送された同じ年、2003年の年末のこと。
それから、色々あってこのドラマの再放送はずっとされませんでした。
DVD化はされていましたが、やっぱり観てもらう手段の一つは再放送。
ついに再放送されたのが2009年の初夏でした。
随分と年月が経ちましたね。
再放送の時間の枠の関係で随分とカット部分が多かったようですが、それで興味をもたれたらDVDを観て欲しいです。
好き嫌いはあると思います。
やっぱり、辛いなって思う人もいると思います。
現実とは違うよっていう人もいると思います。
でも、僕にとっては大切なドラマなんです。
ホームページ「書斎は四畳半」を立ち上げたきっかけはドラマ「僕の生きる道」を観た後、色々と思う事があったからです。
2004年にホームページを立ち上げて、その後ブログ「四畳半の日記帳」、そして今現在HPからの移行場所としてブログ「書斎は四畳半」に引っ越し途中です。
そのきっかけとなったドラマ「僕の生きる道」を知らないと、このブログ、コンテンツ(二次小説やロケ地写真)はご理解いただけないでしょう。
DVD化もされているので、勿論観て頂けたらと思うのですが、簡単にご紹介してみましょう。
もうひとつのブログでは詳しく書いていますが、ここでは感覚的なお話を。
※型どおりの紹介はこちらから
2003年1月クールに放映されたドラマ。
この頃は出演者の殆どの皆さんに対して、好きとか嫌いとかの感覚は全くなかった。
前評判はどうだったんだろう?年末の特番で一度だけ観ましたが、その時思ったのは「ちょっと重いテーマ」だな。
その頃、我が家には闘病中の家族がいました。
その出演者たち。その後、他のドラマ・映画などに出てくれば、ちょっと観てみようかな?何て思うようになる。
僕道シリーズは結局全て観た。
草彅君のドラマも観たし、矢田亜希子さんに関しては過去のドラマまで遡って観漁った。
ドラマ内で脇を固めていた役者さん達も注目していった。
生徒役の中には今現在注目を浴びている役者さんが出ていた。
市原隼人さん、綾瀬はるかさん、浅見れいなさん、上野なつひさん、鈴木葉月さん、岩崎杏里さん、内博貴さん、藤間宇宙さん。
やっぱりこの3年G組の生徒たちがテレビに登場すると、つい追いかけちゃいますね。
綾瀬さんに関してはテレビ版「世界の中心で、愛をさけぶ」のヒロイン役に抜擢された際は驚いた。
「あいくるしい」では綾瀬さんと市原さんが姉弟役で再びの競演。
年月が過ぎていくと、「僕の生きる道」のメンバーの競演も増えていきますね。
久保先生を演じた谷原章介さん。彼が出演していたから映画「深呼吸の必要」を観てみたいと思い、結果嵌った。草彅君が出演していたから「愛と死をみつめて」のリメイクドラマを観ようと思った。
そうやって、きっかけがないと観ることは無かっただろうと思われる作品にめぐり会えることもある。
そんな風に思った。
ドラマ「僕の生きる道」
私は放映を楽しみに待ちわびて観た訳じゃない。
その日、偶然にテレビをつけたら、あの重いテーマのドラマが始まった・・・。という程度。
それでも初回の放送を観た。
やっぱり、重かった・・・。
2話・3話・4話と全く観なかった。5話は一瞬だけ、内容は理解できない程度。
そして6話は冒頭から観始めた。
6話を観終わり、来週の告知映像を観て次も絶対観なきゃと思った。
美しい山間のシーンが印象的だった。
それから公式HPへ訪れることとなりました。
ドラマの公式サイトへ訪れるのは初めて。
その当時、我が家はインターネットが出来る環境では無かったので、会社で仕事終わりに眺める程度。
公式HPで見逃した部分のあらすじを読み、壁紙をダウンロードした。
しかし、公式サイトで一番頻繁に訪れる理由になったのがBBSだった。
後から知ったことだが、公式サイトへの訪問数が飛躍的に伸びたのがこの頃。私が訪れたのと同じ時期。
それからは毎週ちゃんと観た。
録画ではなく、リアルタイムで観たいから、仕事を意地でも終わらせて走ってでも帰った。
BBSへの書き込みも凄かった。放映当日から翌日にかけては瞬く間に投稿件数が増えて、仕事終わりしか読めない私は、みんなの書き込みを読み返すのも追いつかなくなった。
「死」は単独では存在しない。
生きた結果、死がある。
ドラマを見終えた後、色んな事をした。
大したことじゃないけどね。
「ま、明日でいいか」と思っていた会社のデスクの整理を思った時にしようと心がけた。
これは無理かな?って思ったことも取りあえずやってみた。
もう一つのブログを観たら分かるかもしれませんが、私ちょっと時間的制約が多いのでが、結構無茶をやって色々やっています。
東京圏から普通なら日帰りで行かないだろうって場所に行ったり、行ったら行ったらで分刻みのスケジュールであちこち観に行ったりと。
諦めないで、やってみる。
そんなことを教わったドラマ。
同じような人がいっぱい居たのでしょう。
僕より若い人も、そうとう人生の大先輩と思われる人も沢山の人がBBSにメッセージを残した。
私も、生まれて初めて、BBSやコメント欄に足跡を残した。
公式HPはドラマ終了後、翌月に閉鎖となった。
あっという間に消えて行った。
ページビューだけなら238万件。投稿投書が約1万8千件。
今現在よりも各家庭のネット契約数が少なく、携帯電話のアクセスが少なかった頃としては物凄い数字・・・らしい。
内容の濃いBBSの書き込みは本になった。
その本「もう一つのぼくの生きる道 BBSに寄せられた感動のメール集」の売り上げの一部はガンの研究のため寄付された。
1,086,696円
本だけでなく、ドキュメント番組も作成された。
BBSに投稿された、闘病中の患者さん、医師、家族。
ドキュメンタリー「僕の生きる道」を辿って。
全日本テレビ番組製作者連盟がテレビ番組の質の向上を目指し設けた賞・・・ATP賞
第20回(2003年)では最優秀賞(ドラマ部門)を取りました。
受賞ではザテレビジョンのドラマアカデミーで最優秀作品賞をはじめ7部門受賞でしたが、ATP賞は嬉しかったです。
さて、ドラマが終わってまだ観ぬ2~5話が気になった。
DVDプレイヤーを購入し、家庭のWEB環境も構築した。
妄想癖があるのか、ドラマのその後や、合間合間の出来ごと、ラジオドラマに登場した結城香奈と神林武志はどうなったのか?
そんな事を考えているうちに始めたのが、二次小説。他の人がやっているのを読んで、やってみました。
「やってみましょう」
ドラマ内の中村先生の言葉に後押しされなければ・・・・以前の自分であれば、書かないし、HPは作らないし、弾丸ツアーはしないし、ロケ地なんて行かないし、ブログもしない、机の整理は明日でいい。
そんな自分が少なからず変わったドラマ。
良いドラマだと思っていました。
翌年、「僕と彼女と彼女の生きる道」の放映が決まり複雑な思いも持ちました。
その際に番宣扱いでしょうね、「僕の生きる道」が再放送されました。
本放送された同じ年、2003年の年末のこと。
それから、色々あってこのドラマの再放送はずっとされませんでした。
DVD化はされていましたが、やっぱり観てもらう手段の一つは再放送。
ついに再放送されたのが2009年の初夏でした。
随分と年月が経ちましたね。
再放送の時間の枠の関係で随分とカット部分が多かったようですが、それで興味をもたれたらDVDを観て欲しいです。
好き嫌いはあると思います。
やっぱり、辛いなって思う人もいると思います。
現実とは違うよっていう人もいると思います。
でも、僕にとっては大切なドラマなんです。
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