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窓の向こうに [書斎の本棚]

二次小説です。





窓の向こうに
予定より随分早く到着してしまった雅人はベンチに座っていた。

公園には子供達の姿はなく、湿気の多い梅雨の合間の晴れ。
もうすぐ夕暮れ時という時間、ネクタイを解いて休憩するサラリーマン達や、読書を楽しむ老人などがいた。

多忙とも思える大学病院勤務も、恩師との約束を少しずつ果たしてきた自負もあり、少しほっとしてきた。
心にも余裕が出来てきた。
若い頃の雅人は荒々しさが目立ったが、今では泰然としており、周りのものに安心感を与えていた。




ハンカチで必死に汗を拭いていたサラリーマン達もそろそろ仕事に復帰しなくてはいけない頃なのか、とぼとぼと歩いて出て行った。

本を読んでいた老人もこの蒸し暑さに集中できないらしく、自宅の方へ戻っていく。
公園には雅人だけが残された。

スーツに身を包む雅人はベンチから立ち上がり、公園内を横切った。
顔を上げていくと、高層の建物が視界を塞いでいた。

かつての敬明会病院の面影はそこにはなかった。

中村先生の入院当時から老朽化が目立っていた敬明会病院だったが、先生の死後暫くして建て替え工事が始まった。ただ、病院だけでは土地がもったいなく高層ビルにして病院以外のオフィスも誘致した。

最初はあの趣のある建物をなんとか保存できないものかとも思ったが、いざ自分が医師となり敬明会病院の設備を見る機会もあったが、やはり患者さんのことを考えたら建て替えは仕方の無いことだと理解できた。



雅人は緩やかなカーブを描く、階段の最上段に立った。
そこから真っ直ぐ正面をみつめると、敬明会病院のビルの無機質な低層階の窓が見える。

でも、雅人には夕日を浴びた病室の窓が見えていた。
カーテンがそっと開き、みどり先生がこっちを見ている。
窓からは見えないがそこで中村先生が眠っている。


頭の中でのばらのメロディが流れている。
6月の夕暮れは遅くまで雅人を照らし続けた。


雅人が眺める病院の高台、左側の階段を降りてくる人が目に入った。
先頭に一人娘の葵。彼女は大きな花束を抱えている。
そして、葵を嫁に貰ってくれる男。
最後に萌が続いた。


今月末の結婚式の前に最後の打ち合わせを兼ねて、4人で食事をすることになった。

葵は敬明会病院で看護士として勤めていたが、本日が最後の勤務だった。
幼い頃の大病は今ではすっかり完治しており、女房の萌以上に口うるさくなっていた。

娘婿になる男は、研修医時代から敬明会病院に勤務していたが2年前に実家の病院を継いでいた。
今日は久しぶりに敬明会病院に立ち寄り、葵の仕事を待つ間、懐かしい面々に挨拶をしていった。

萌は雅人の事を良く分かっていた。
敬明会病院に雅人が入れば、すぐに応接に通されるだろう。
だが、雅人には行きたいところがあることを知っていた。
だから、萌は雅人をしばらく一人にしてあげたのだ。

最後に近寄ってきた萌にちょっとはにかんだ笑みを見せた雅人は葵に目で礼を言った。
そして葵を必ず幸せにすると言った男に声をかけた。

「さあ、行こうか。」

雅人は今はそこには無いはずの古い病棟の窓から恩師の視線を感じていた。
物質は変化しても、先生から貰ったものは変わらない。
先生と交わした約束を全て果たすことはありえない。何しろ医療にゴールは無いのだから。
雅人はこれからも走り続ける。

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