ヒーロー [書斎の本棚]
二次小説です。
ヒーロー
早々に沖縄では梅雨明けしたらしいが、横浜でははっきりしない天気の毎日だった。
教師生活も10年目を迎えた吉田均が
「通勤するときにはザーザー降って、帰る頃には止んでいるじゃないですか。学校に傘がいっぱい貯まっちゃいましたよ。」
と愚痴をこぼす。
「九州の方は集中豪雨よ。台風も近づいているし。それに比べたら贅沢よ。それに傘は毎日持って帰ればいいのよ。」
「そうなんですけど、ついつい忘れちゃって。でも、西日本の土砂崩れは心配ですよね。」
学年主任になったみどりがやさしく吉田を諭した。
夏休みも迫ってきたが、生徒達は期末テストで気を緩める暇はない。
みどりが主任をし、吉田が受け持つのは一年生だった。
進学校なので一年生でも予備校の夏期講習に通う生徒が多いらしい。
「今日は合唱の練習無いの?」
「はい。期末試験期間ですから。」
「でも、随分参加する生徒が増えたみたいね。」
「去年、コンクールで優勝しましたから今年入学した生徒がたくさん来てくれました。」
「受け持ちの生徒ばかり?」
「そんなつもりじゃなかったんですが、結果的には一番多かったですね。」
「久しぶりに伴奏しに行こうかな。」
「いいですよ。みどり先生なら生徒達も大歓迎ですよ。その時は僕も指揮をしますよ」
秀雄が始めた合唱は吉田均によって正式な部として活動していた。
当初はみどりが伴奏をし、均が指揮棒を振った。
それは秀雄から受け取ったタクトだった。
今では指揮も伴奏も生徒が行っている。だが、秀雄のタクトは今も現役だった。
窓の外を見てみると、吉田がぼやく通り朝から降っていた雨は止んでおり、分厚い雲と湿気が充満していた。
その時教員室のドアが開いた。
みどりと吉田は視線を移したがそれよりも早く彼は入ってきた。
「ブーン」
肩から黄色いカバンを提げ、幼稚園の制服を着た幼児が飛び込んできた。
呆気とられていると続いて廊下から大きな声が飛び込んでくる。
「こら、勇気。待ちなさい。」
そして、その声を追い抜こうかという勢いで彼の母親が表れた。
ポロシャツにジーンズ姿の母親にみどりも吉田も見覚えがあった。
二人の視線に気が付き、りなは立ち止まった。
「よっ。」
片手を挙げながら照れた表情を見せたりなだったが、一足先に駈けこんだ息子の勇気を見つけ、また息子を呼んだ。
「こら、勇気。勝手に先に入っちゃ駄目でしょ。」
五歳になったばかりの勇気は本能的に味方を見つけた。
みどりの後ろに回り込み顔だけりなに見せた。
みどりは勇気の肩に手をやり
「勇気くんは元気がいいんだよねぇ」
「先生、本当にすみません」
「いいのよ。」
「しかし、本当に大きくなったよな。」
「前に勇気を見せたの赤ちゃんの頃よ。もう、やんちゃで参るわ。」
りなの顔は言うほど参ってなさそうだ。
「ところでどうしたの?」
「パパを迎えに行こうと幼稚園からそのまま駅に行こうとしたんだけど、ちょっと時間があるから寄ったの。」
「確か、旦那さんは海外で単身赴任よね。」
「はい、シンガポールで。ちょっと早めの夏休みが貰えたから半年振りに帰ってきます。」
「そう、良かったわね。」
「今日は七夕様だよ。」
吉田が七夕のことを言うと勇気が目を輝かせた。
よく見ると勇気の右手には紙で出来た七夕飾りのおもちゃを持っている。
それにはちゃんと短冊がつけられていた。
『ゴーゴーレッドになれますように』
どうやら、子供向けの戦隊物のリーダーになりたいようだ。
勇気は嬉しそうにそれをみどりと吉田に見せてくれた。
でもその後、急に勇気は顔を曇らせた。
「ねえ、先生・・・。空が曇ると織姫と彦星は会えないの?」
「え?」
「僕は今日お父さんに会えるのに、織姫と彦星が会えないのはかわいそう・・・。」
みどりは幼い子の優しい気持ちに触れた。
勇気の前にしゃがんで両肩に手を添えた。
「勇気君。確かにお空が曇っていると私たちには天の川は見えないわ。でも、雲の上のお空はいつも晴れているのよ。織姫と彦星は今日、ちゃんと会えるわよ。」
「本当?」
「本当よ。だから勇気君も笑ってお父さんを迎えに行きなさい。」
「うん。」
勇気はりなの横に駆け寄った。
「先生、本当にすみません。なんだかお騒がせしただけで。吉田君もね。」
「気にするなよ。あ、時間大丈夫か?」
「うん。じゃあ、行くね。先生、さようなら。・・・ほら勇気もバイバイして」
「バイバイ」
「さようなら」
勇気は小さな手を振って、またりなより先に駆け出していった。
みどりは、やさしいヒーローの卵の後姿を見送った。
「私も、彦星に会いに行ってこようかな・・・。」
「あれ、一年に一度どころかいつも会っているのに・・・。」
「吉田君、何か言った?」
「え・・・いえいえ・・・あ、彦星さんに宜しくお伝え下さい。」
「ふふふ。伝えておくわね。戸締りよろしくね。」
「はい。いってらっしゃい。」
ヒーロー
早々に沖縄では梅雨明けしたらしいが、横浜でははっきりしない天気の毎日だった。
教師生活も10年目を迎えた吉田均が
「通勤するときにはザーザー降って、帰る頃には止んでいるじゃないですか。学校に傘がいっぱい貯まっちゃいましたよ。」
と愚痴をこぼす。
「九州の方は集中豪雨よ。台風も近づいているし。それに比べたら贅沢よ。それに傘は毎日持って帰ればいいのよ。」
「そうなんですけど、ついつい忘れちゃって。でも、西日本の土砂崩れは心配ですよね。」
学年主任になったみどりがやさしく吉田を諭した。
夏休みも迫ってきたが、生徒達は期末テストで気を緩める暇はない。
みどりが主任をし、吉田が受け持つのは一年生だった。
進学校なので一年生でも予備校の夏期講習に通う生徒が多いらしい。
「今日は合唱の練習無いの?」
「はい。期末試験期間ですから。」
「でも、随分参加する生徒が増えたみたいね。」
「去年、コンクールで優勝しましたから今年入学した生徒がたくさん来てくれました。」
「受け持ちの生徒ばかり?」
「そんなつもりじゃなかったんですが、結果的には一番多かったですね。」
「久しぶりに伴奏しに行こうかな。」
「いいですよ。みどり先生なら生徒達も大歓迎ですよ。その時は僕も指揮をしますよ」
秀雄が始めた合唱は吉田均によって正式な部として活動していた。
当初はみどりが伴奏をし、均が指揮棒を振った。
それは秀雄から受け取ったタクトだった。
今では指揮も伴奏も生徒が行っている。だが、秀雄のタクトは今も現役だった。
窓の外を見てみると、吉田がぼやく通り朝から降っていた雨は止んでおり、分厚い雲と湿気が充満していた。
その時教員室のドアが開いた。
みどりと吉田は視線を移したがそれよりも早く彼は入ってきた。
「ブーン」
肩から黄色いカバンを提げ、幼稚園の制服を着た幼児が飛び込んできた。
呆気とられていると続いて廊下から大きな声が飛び込んでくる。
「こら、勇気。待ちなさい。」
そして、その声を追い抜こうかという勢いで彼の母親が表れた。
ポロシャツにジーンズ姿の母親にみどりも吉田も見覚えがあった。
二人の視線に気が付き、りなは立ち止まった。
「よっ。」
片手を挙げながら照れた表情を見せたりなだったが、一足先に駈けこんだ息子の勇気を見つけ、また息子を呼んだ。
「こら、勇気。勝手に先に入っちゃ駄目でしょ。」
五歳になったばかりの勇気は本能的に味方を見つけた。
みどりの後ろに回り込み顔だけりなに見せた。
みどりは勇気の肩に手をやり
「勇気くんは元気がいいんだよねぇ」
「先生、本当にすみません」
「いいのよ。」
「しかし、本当に大きくなったよな。」
「前に勇気を見せたの赤ちゃんの頃よ。もう、やんちゃで参るわ。」
りなの顔は言うほど参ってなさそうだ。
「ところでどうしたの?」
「パパを迎えに行こうと幼稚園からそのまま駅に行こうとしたんだけど、ちょっと時間があるから寄ったの。」
「確か、旦那さんは海外で単身赴任よね。」
「はい、シンガポールで。ちょっと早めの夏休みが貰えたから半年振りに帰ってきます。」
「そう、良かったわね。」
「今日は七夕様だよ。」
吉田が七夕のことを言うと勇気が目を輝かせた。
よく見ると勇気の右手には紙で出来た七夕飾りのおもちゃを持っている。
それにはちゃんと短冊がつけられていた。
『ゴーゴーレッドになれますように』
どうやら、子供向けの戦隊物のリーダーになりたいようだ。
勇気は嬉しそうにそれをみどりと吉田に見せてくれた。
でもその後、急に勇気は顔を曇らせた。
「ねえ、先生・・・。空が曇ると織姫と彦星は会えないの?」
「え?」
「僕は今日お父さんに会えるのに、織姫と彦星が会えないのはかわいそう・・・。」
みどりは幼い子の優しい気持ちに触れた。
勇気の前にしゃがんで両肩に手を添えた。
「勇気君。確かにお空が曇っていると私たちには天の川は見えないわ。でも、雲の上のお空はいつも晴れているのよ。織姫と彦星は今日、ちゃんと会えるわよ。」
「本当?」
「本当よ。だから勇気君も笑ってお父さんを迎えに行きなさい。」
「うん。」
勇気はりなの横に駆け寄った。
「先生、本当にすみません。なんだかお騒がせしただけで。吉田君もね。」
「気にするなよ。あ、時間大丈夫か?」
「うん。じゃあ、行くね。先生、さようなら。・・・ほら勇気もバイバイして」
「バイバイ」
「さようなら」
勇気は小さな手を振って、またりなより先に駆け出していった。
みどりは、やさしいヒーローの卵の後姿を見送った。
「私も、彦星に会いに行ってこようかな・・・。」
「あれ、一年に一度どころかいつも会っているのに・・・。」
「吉田君、何か言った?」
「え・・・いえいえ・・・あ、彦星さんに宜しくお伝え下さい。」
「ふふふ。伝えておくわね。戸締りよろしくね。」
「はい。いってらっしゃい。」
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